

「30」の数字は、モンテディオのユニフォームに見られる
ストライプを想起させるラインで構成され、クラブの歩みと伝統を表現。
また、3と0が一筆書きで繋がっており、“これまでとこれからをつなぐ想い”を込めています。
絶え間なく続く線には、クラブを支えるすべての人の想いが重なり合い、
未来へと続いていく願いが込められています。
もう一度、この場所で会いたい人がいる。
30年前、誰かが描いた夢があった。
その夢を、
今日まで繋いでくれた人たちがいる。
ピッチを駆け抜けた先人たちの足跡。
雨の日も風の日も、
ゴール裏を守り抜いたあなたの誇り。
地域と共に歩み、
喜びを分かち合ってきた日々。
ユニフォームに袖を通す。
スパイクの紐を結び直す。
その一挙手一投足が、
私たちの青春を呼び覚ます。
今、このピッチに立つのは、
かつてのヒーローたちか。
それとも、
彼らに夢を託した私たちの情熱か。
「ありがとう」だけでは
伝えきれない感謝を込めて。
かつてのヒーローたちが、
聖地へ帰ってくる。
歴史への敬意を、
未来への希望に変える時間が始まる。
詳細は[こちら]
キックオフ時間/11:00
(ウォーミングアップ開始 10:15)
場所/NDソフトスタジアム山形
今回、明治安田J2・J3百年構想リーグで使用されるユニフォームは、“30周年記念モデル”と呼ぶにふさわしい、クラブがモンテディオ山形となった1996と翌1997年に着用したユニフォームをオマージュしたデザインとなっており、クラブの原点と未来をつなぐ特別な一着です。
当時のアイコニックな意匠を現代的なシルエットとカラーで再構築し、懐かしさの中にも洗練された印象を持つ仕上がりに。クラブの歴史を支えてきたすべてのサポーター、選手、関係者への敬意を込め、30年の軌跡を象徴するユニフォームとして随所にこだわりを詰め込んでいます。
カラーも“BLUE/WHITE”2つのキットが用意されており、明治安田J2・J3百年構想リーグでは、いずれのユニフォームも1stユニフォームとしてホームで使用される予定です。
過去へのリスペクトと、新たな未来への決意を纏う“30周年記念ユニフォーム”。
モンテディオ山形の歴史とともに歩む特別な瞬間を、ぜひこの一着とともに。
モンテディオ山形 栄光への軌跡
モンテディオ山形の歴史は、
前身であるNEC山形サッカー部から始まります。
クラブに残る最古のアルバムには、
1987年6月24日の新コートでの
練習風景が記録されています。
このグラウンドが
クラブの歴史の始まりとなりました。
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黎明期から地域リーグでの躍進
(1980年代後半~1990年代初頭)NEC山形は、1988年頃に鶴岡地区リーグを戦っていました。当時の試合会場は雑草が生い茂る河川敷の土のグラウンドであり、ここからJリーグへの長い道のりが11年間続きました。
チームは鶴岡地区5部リーグから毎年昇格を続け、有力選手も加入し成長を遂げました。1988年には鶴岡地区リーグ2部で優勝し、翌年(1989年)には山形県リーグへ昇格しました。クラブハウスもない時代、土手の階段でミーティングを行うなど、モンテディオのグラスルーツ(草の根)がここにありました。
1989年、NEC山形はこの年から始まった山形県社会人サッカーリーグに参戦し、初年度に優勝を決めます。この勢いのまま、翌1990年春に行われた参入戦を勝ち抜き、東北リーグへの昇格を果たしました。東北リーグはTDK秋田や松島クラブといった東北の強豪がひしめき合うリーグでした。
NEC山形は1990年から毎年東北社会人リーグで優勝を飾ります。また、1990年にはリーグ戦に先立ち東北予選を勝ち抜き、山形県勢初の天皇杯出場を決め、「東北王者の称号」を獲得しました。 -
全国リーグへの挑戦とJFL昇格
(1990年代前半)チームは1992年に山形県で開催された「べにばな国体」に向けて強化が進められ、山形代表としても活動し、1990年には東北総体で優勝しています。
東北リーグでの優勝を重ねるも、全国リーグ昇格をかけた地域リーグ決勝大会の「厚い壁に跳ね返され」続けました。しかし、1993年秋には全国社会人サッカー選手権大会に参加し、Jリーグからも経験豊富な選手が加入するなど、強化が進みました。
そして、1994年2月17日、静岡県藤枝市で行われた旧JFL昇格を決める日本電装戦に臨みます。前半はシュート1本の苦しい展開でしたが、後半、宮武太選手のコーナーキック(CK)からのゴールで先制点を挙げ、最終的に2-0で勝利しました。この結果、NEC山形は創部11年目にして悲願の全国リーグ2部(旧JFL)入りを達成しました。
旧JFL昇格は、Jリーグ参入への期待が高まると同時に、スタジアム拡充などの課題も示唆するものでした。1994年、当時の国内2部リーグであるジャパンフットボールリーグに、NEC山形は東北で唯一のチームとして参戦しました。 -
モンテディオ山形への改称と
クラブ存続の危機
(1996年〜1998年)1996年、NEC山形の名称がモンテディオ山形に変更されました。クラブは法人化に向けた歩みを始めますが、1996年末には設立が一旦見送られる事態に直面します。関係者の尽力により9月に法人化準備室が立ち上がったものの、翌年4月までに法人化の目処が立たない場合は旧JFLからの撤退もありうるという方針が示され、Jリーグ参入を目前にしてチームは存続の危機に陥りました。
この懸案だった法人化は、社団法人化によりチーム消滅の危機を回避し、J2参入への道筋が固まりました。1998年2月、クラブチームとして新たな歩みを始めます。
1998年シーズン、チームは躍進し、川崎フロンターレ、東京ガスと首位戦線をひた走り、最終順位は旧JFL 3位となりました。Jリーグへの参入
1999年、モンテディオ山形はJリーグに参入し、
この年からスタートしたJ2で新たな歩みを始めました。
植木繁晴監督のもと、初年度は最終順位7位でした。
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J2参入2年目。
勝利をつかみ取るためにもがくシーズン -
成績安定も昇格には届かず -
厳しい戦いを強いられたシーズン。
未来への萌芽が芽吹く1年 -
激動のシーズン。
柱谷幸一監督の休養という事態を乗り越え、チーム一丸で中位へと踏み止まる -
鈴木淳監督就任。
J1・J2入れ替え戦進出まで
あと一歩に迫る -
大雪を乗り越えた一戦。
地域と一体になり、勝利で飾る -
レアンドロが23ゴールを記録。
わずか1年の在籍にも関わらず
鮮烈な印象をクラブに残す -
豊田陽平らが加入。
勝負強さを磨き、翌年の悲願成就への足掛かりを作る -
小林伸二監督就任。
ついにJ1への扉が開く -
衝撃のJ1デビュー -
田代有三・増田誓志が加入。
強力な「個」が融合し
リーグ歴代最高順位へ -
3年目のJ1、
苦しい戦いの中での奮闘 -
クラブの苦難期。
石川竜也がキャリアハイの出場と得点を記録し「黄金の左足」でチームを支える。 -
奥野僚右監督体制2年目。
次なる躍進への攻撃的な礎を築く -
天皇杯準優勝 &
J1昇格達成!歴史的シーズン -
2度目のJ1挑戦、
最後まで粘り抜く -
新しいスタイルの模索 -
木山隆之監督が就任。
新体制で編成や戦術の大幅な刷新を進めたシーズン
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天皇杯ベスト4。
「みちのくダービー」での決戦 -
前半戦首位で折り返すも惜しくも自動入替ならず、
J1参入プレーオフで惜しくも敗退 -
新型コロナウイルスが流行し、
特殊な形となったシーズン -
ピーター・クラモフスキー監督が就任、
スタイル刷新 -
J1参入プレーオフ2回戦進出。
激闘の末、昇格には届かず -
渡邉晋監督のもと、3度の5連勝を記録。
終盤の追い上げでJ1昇格プレーオフ進出 -
終盤戦、怒涛の9連勝で
3年連続プレーオフへ
今シーズンのリーグ戦ホームゲーム
年間入場者数が210,289人
年間最多入場者数を更新
年間入場者数が210,289人(明治安田J2リーグ 19試合)となり、過去最多を記録した2009シーズンの204,953人(Jリーグ ディビジョン1 17試合)を上回り、年間最多入場者数を更新
どんな時も、
僕たちの背中を押してくれるのは
皆さんの声です。
歓喜も、悔しさも、
すべてを共有できるのが
このスタジアム。
皆さまの想いが、
クラブを前へと突き動かす。
共に戦い、共に泣き、共に笑う。
その一瞬一瞬が、
僕たちモンテディオ山形を強くします。


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フリースプラシャツ高いストレッチ性・通気性・軽量性を備え、裏起毛ストレッチ素材を使用し、快適なフィット感と保温性を両立したモデルです。
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